
世界中の人々はモナ・リザは肘掛椅子に座りくつろいだ姿勢で肘掛部分に左手を乗せていると認識しているでしょう。確かに現在ではモナ・リザは肘掛椅子に座り左手を肘掛部分に乗せていることに間違いはありません。
しかし、私の見解では本来モナ・リザが左手を乗せていたのは肘掛椅子などではないというものです。では一体モナ・リザは何の上に左手を乗せていたのでしょう?
その答えは本です。
ではなぜそのように見解な至ったかというと、そもそもモナ・リザが座っている肘掛椅子の形状がいびつで不自然な描写に疑問を抱くからです。
私はこの椅子は加筆を繰り返され形状が描き変えられていると見ています。
ではレオナルドは一体どこを加筆したかというと左手の下の3本の支柱です。レオナルドはここに3本の支柱を描き加えることで本来存在していなかった肘掛け部分を画面に描き加えたと私はみています。
この描き加えられた3本の支柱と画面右端の直線的に並んだ支柱との連結具合に絵画としての破綻を感じるのです。
3本並んだ支柱の真ん中の支柱がやや右寄りに描かれているのは右側の直線的に並んだ柱との遠近感の演出のためだと考えられますが、奥側の直線的に密に並んだ支柱と手前の間隔の空いた支柱の並び方はやはり統一感にかけた描写と言わざるをえないでしょう。
左の図はオリジナルのモナ・リザをCGで色彩の調整と画面に存在する無数のひび割れを修正したものです。
レオナルドによって描かれた直後の状態にかなり近いものになったと思います。
画面も破綻しない程度にかなり明るく補正していますが、この状態でも画面下部の肘掛け椅子付近の描写は暗い影に覆われており、何が描かれているのかよくわかりません。
左の図は上の画像を更に明るさ、コントラスト、明度、彩度、カラーバランスを補正して可能な限り肘掛部分の描写が浮きだすように修正したものです。
画面右側の支柱の並びが直線的であることがわかります。
さらに直線的な支柱の並びは画面奥でアール状に曲げられていますがその形状もいびつに歪んでおり無理やり連結した痕跡を感じます。
もう一つ私が感じる不自然さは支柱の本数です。奥の支柱に対して手前の支柱の本数が少ないと感じます。私なら手前側にさらに3本程度は支柱を描き足し、支柱の間隔を調整します。
1、左手の下の本の右端を延長し画面右端の肘掛部分と連結する。
2、肘掛部分に支柱を描き加える。
3、画面右端の肘掛部分奥を丸く弧を描くように延長する。
4、本に差し込まれていた左手の指を肘掛の外側に描きなおす。
私がモナ・リザが本を持っていたのではないかと考え始めたきっかけはレオナルドが描いたイザベラ・デステの肖像画デッサンにあります。
現在ルーブル美術館が所蔵しているイザベラ・デステの肖像画デッサンには彼女の右手の指の先に本が描かれているのです。
何気ない描写ですが、私はこの点に強い関心があります。なぜならそれはイザベラ・デステの明確な注文だったからです。彼女は知性の象徴である本を必ず彼女の肖像画の画面に描き加えることをレオナルドに強く求めていました。
つまり、もしモナ・リザのモデルがイザベラ・デステであった場合、モナ・リザは本を持っているはずなのです。
モナ・リザとイザベラ・デステの肖像画の比較モナ・リザの縦サイズは77センチ、一方イザベラ・デステの肖像画の縦サイズは63センチ、それぞれの絵が77センチ、63センチになるよう縮尺を調整しイザベラ・デステの画像を左右反転して重ね合わせたものが左図です。
このようにモナ・リザとイザベラ・デステの肖像画ではかなりの部分でプロポーションが一致していることがわかります。
単に真横を向いたイザベラの顔をこちら側に振り向かせるだけでモナ・リザが完成してしまうような気さえします。
この肖像画に空けられた無数の転写用の穴も実はモナ・リザの下絵を描くためのものであった可能性も十分あり得ると私は感じます。
下のイザベラ・デステの肖像画で本が描かれている箇所は赤い半円で囲ってある部分なのですが、描かれている本の角度やイザベラの左腕の高さなどからおそらくはイザベラは机の上で腕を組みその手元に本を置いている状態で描かれていると想定されます。 つまり、イザベラの身体の前には机が存在するという場面設定です。
では、現在のモナ・リザはというと机はどこにも描かれておらず腕は肘掛椅子の肘掛部分に載せられている場面設定のように見えます。しかし、実はモナ・リザにも以前は机が設定されていた痕跡は残されています。
それは画面左端、モナ・リザの右肘下部分です。ここには水平に走る線が描かれておりその線を境にベールの描写が分断されています。そして分断されたベールの端から斜め下に黒く塗りつぶされた描写も見えています。
私はこの部分が当初は机が想定されていた部分でありベールの端から斜めに塗りつぶされた部分はモナ・リザ自身の影の部分が机の上に描かれているのではないかと考えています。

左図はモナ・リザの右肘部分の拡大図です。
画像はCGで色調補正し、赤い三角印の横に水平に描かれた線描を浮き上がらせています。この水平な線描の上に描かれているベール部分の描写がこの線で区切られていることも確認できます。
またベール左端の部分から斜め下に描かれている影のような部分も偶然描かれた描写ではなく、しっかりとした意図的なものであることを感じさせます。
一般的に広まっているモナ・リザのイメージや評価はつい最近まで主に書籍の影響を大きく受けていました。情報伝達の主な媒体が紙であったためです。しかし、その画質はお世辞にも原画の状態を忠実に再現できているとは言えないものも多かったのも事実です。
ここ20年くらいではルーブルが一般に提供している画像データの質が向上したせいなのかかなり画質の程度は良くなったのですが、それ以前のものにはモナリザを撮影した機材や技術の低さのせいなのか画面が異常にに暗く、色の再現性も信頼性に欠けるものが多かった印象があります。
そういった品質的に程度の低い複製が多くの人々のモナリザのイメージを作り上げ、さらにはそのイメージを基にモナ・リザ論が論じられてきたのも事実です。
ある意味本当のモナ・リザを知らない人達がモナ・リザを論じているのです。
ごく最近ではインターネットの普及によりかなりオリジナルに忠実な画像データに触れる機会も増え状況は大きく改善されていますが肝心なモナ・リザは依然修復前で色彩的には描かれた当時とは大きく異なったままです。
そもそもモナ・リザとはいかなる絵なのか?
そういった部分を追求することこそがモナ・リザを追求することになるのではないでしょうか?
次の段階ではモナリザの初期段階について考察してみたいと思います。
左図はモナ・リザの製作初期段階を再現してみたものです。
参考にしたのはヴァチカンの荒野の聖ヒエロニムスで、この絵は製作の初期段階で放棄されているのでレオナルドの製作初期の状態を検証する際の重要な資料となります。
また、文献的にはこの荒野の聖ヒエロニムスを修復したジャンルイージ・コラルッチ氏のレポートを参考にしています。
ジャンルイージ・コラルッチ氏のレポートではレオナルドは荒野のヒエロニムスを描く際、明るい部分の下描き素描に酸化鉄を混ぜた青色の絵の具を使い、暗い部分の下描き素描には暗褐色の絵の具(酸化鉄)を使用しているとあります。また、影の大部分には炭酸銅を含んだ暗褐色の絵の具、空や山の部分はアズライトで描かれていると述べています。
確かに、修復後の聖ヒエロニムスでは人物の上半身などは薄い青系の色で素描され、画面下の部分では濃い褐色で下描き素描がされていることがわかります。
そういった点を踏まえ、左図では人物描写部分を薄い青系、影になる部分や画面下部では濃い褐色で描いています。
色彩的には以上のように復元していますが、構図に関してはオリジナルのモナ・リザと大きく異なる点が三箇所あります。
1、背景の列柱の位置をラファエロのスケッチに見られる肩の高さに変更。
2、画面にテーブルを追加。
3、左手の下に本を追加。
テーブルの追加と本の追加に関してはすでに述べているので、ここでは列柱の描写位置に関して説明します。
モナ・リザの目撃者としてラファエロほどドラマチックな人選はないと500年以上たった現在でもその偶然性に驚きます。
しかも、その時にモナ・リザをスケッチしたことや、そのスケッチが失われることなく今日まで残されたことなど全てが本当に奇跡としか言いようがありません。
このラファエロによるスケッチですが描写はきわめて簡素です。しかし、モナ・リザの特徴をきわめて的確に捉えている点にはラファエロの画家としての素質の高さが感じられます。
下の図は現在のモナ・リザ(デジタル修復された)と比較したものです。
最も大きな違いは背景の柱の描かれている高さでしょう。ラファエロのデッサンでは柱は現在のモナ・リザに描かれた柱の位置よりもかなり高い位置に描かれています。それは単純に柱の位置にこだわることなく、ラファエロの自由なアレンジで描かれているようにも見えます。しかし、私はラファエロは柱の高さに関しても正確にデッサンしていたと考えています。
ラファエロがモナ・リザをスケッチした時点ではモナ・リザの背景の柱はこの位置に描かれていたというのが私の見解です。


それではもともとはどこに柱が描かれていたのかを示したのが下の図です。図の青い枠で示した部分の上に斜めに黒い影のようなものが透けて見えます。この部分が本来は柱が描かれていた痕跡ではないかと私は想定しています。
さらに、この柱の位置を変更して背景を下側に描き足したということがモナ・リザの背景に一種独特な雰囲気を生み出す要因となったとも私は考えています。 モナ・リザの背景が持つ俯瞰的な奥行きの深い背景はこうした構図の変更によって生み出されたのではないかというのが私の考えです。


左の図はラファエロのデッサンに描かれている柱の高さにモナ・リザの柱の位置を変更した画像です。
オリジナルのモナ・リザよりも平坦で落ち着いた安定感があります。
オリジナルのモナ・リザの風景がどこか不安定な不安な気持ちを抱かせるのは背景の風景が相当高い位置から見下ろしたような視点で描かれているのにもかかわらず、モナ・リザの後ろにある壁が低すぎて開口部から外に落ちそうなイメージを見るものに抱かせるからです。
左の図に安心感があるのは壁の高さが十分にあるため開口部から落ちるというイメージを抱きにくいためです。
ある意味、加筆を繰り返したことがモナ・リザの不思議な魅力、特徴を生み出した理由となったと言えます。
下の画像はモナ・リザのベールの加筆部分を取り除いた画像です。
最終的に加筆部分を取り除かれたモナ・リザはかなり細っそりとした印象を受けます。先に挙げたラファエロのデッサン画に近いシンプルな描写です。
こうした加筆が生まれる最初の原因はレオナルドによる髪の毛の加筆でしょう。画面左、モナ・リザの右顔横周辺を加筆していくと当初のベールに収まりきらなくなった部分にベールを加筆する必要性が生じます。
そして、加筆した左側部分とバランスをとるため今度は反対側の右側のボリュームを増す必要性が生じます。
こうして左右にボリュームを増した頭部のバランスが全体的に頭の大きい不安定さを招くので、今度は体の左右にベールの描写を広げて安定した構図を得ようとするのです。
最終的に完成したモナ・リザの画像は実にどっしりとした安定感があります。しかし、正確な人物描写という観点から見た場合は左右に広がりすぎて不自然であり、本来は加筆を始める前の姿の方がリアルな人物像としての描写と言えます。



